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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)11077号 判決

原告

日影みや

原告

大浦富士夫

右両名訴訟代理人弁護士

高木一彦

中野直樹

被告

京王帝都電鉄株式会社

右代表者代表取締役

桑山健一

右訴訟代理人弁護士

花岡隆治

向井孝次

主文

一  被告は、原告日影みやに対し、金四七九万六六三五円及びこれに対する昭和六二年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告大浦富士夫に対し、金四一二万八四二五円及びこれに対する昭和六二年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの、その余を被告の各負担とする。

五  この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告日影みや(以下「原告日影」という。)に対し、金二三〇九万六一〇〇円及び内金二〇〇九万六一〇〇円に対する昭和六二年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告大浦富士夫(以下「原告大浦」という。)に対し、金一九〇一万三七〇〇円及びこれに対する昭和六二年八月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

昭和六二年一月一七日午後三時五分ころ、神奈川県川崎市多摩区菅四丁目一番一号所在の被告相模原線京王稲田堤駅(以下「稲田堤駅」という。)において、訴外大浦綾子(以下「綾子」という。)が、同駅の下り線進行方向側の入口から下り線ホーム(以下「下り線ホーム」という。)に向う階段(以下「本件階段」という。)を駆け上り、同ホームから停車中の下り電車(岩本町発・京王多摩センター行き・第六五運行・二八二九列車・快速電車、以下「本件電車」という。)に飛び乗ろうとしたところ、一瞬早く閉まった扉に突き当たって本件電車とホームの間隙から線路上に転落し、その直後に動き出した本件電車により轢断され、このため綾子は翌一八日午前五時三分ころ外傷性躯幹断裂により死亡した(以下「「本件事故」という。)。

2  稲田堤駅の施設の状況及び電車の発車体制

稲田堤駅における下り線ホームの状況は概ね別紙図面のとおりであり、綾子は同図面表示の転落場所(以下「本件転落場所」という。)からホームの下に転落したものであるが、同図面によっても明らかなように、同駅のホームは上下線とも著しく湾曲しており、本件転落場所付近においてはホームと電車との間隙が二〇数センチメートルにも及び、乗降客がホーム下に転落しやすい危険な状態にあった。

ところで、稲田堤駅においては、右のようにホームが湾曲しており電車最後部に乗車している車掌から電車の前部及び中間部を直接見通すことが困難なため、下り線ホーム上に設置された監視員詰所(以下「詰所」という。)にいる監視員が本件ホーム全体を監視して乗降の終了を確認した後車掌に対して扉閉め等の合図を出すことになっており、車掌は主として右監視員の合図に従って扉閉め等の操作をすることになっていた。すなわち、乗降の終了を確認した監視員が詰所に備え付けられている乗降終了合図器のボタンを押すと、ホーム全体に電子音ブザーが鳴り響くと同時に車掌に対する乗降終了合図(「閉」と書かれた表示灯が点灯する。)が示され、車掌は自ら視認できる範囲の安全と右乗降終了合図とを確認して扉閉めの操作を行う。そして、扉が閉まると電車の運転室に扉閉めランプが点灯することになっているので(同ランプは、扉に異物が挾まって扉が閉まりきらない場合には点灯しない仕組みになっている。)、運転士は同ランプの点灯を確認して電車を発進させる操作を行うが、非常の場合には、監視員が詰所内にある非常停止警報装置を操作することによって、電車前方の信号が赤色に変わるとともにホーム全体にブザーが鳴り響く仕組みになっているので、これにより非常停止の措置がとられることになっていた。

3  責任原因

(一) 旅客運送契約に基づく責任(商法五九〇条)

被告は旅客運送を業とする株式会社であるところ、綾子は、被告の電車に乗車して稲田堤駅から京王よみうりランド駅に向かうべく、稲田堤駅で右区間の乗車券を購入して被告と旅客運送契約を締結した後、改札口を通って下り線ホームに向かい、同ホームにおいて本件電車に乗車するに当たって本件事故に遭遇したものである。

したがって、被告は、旅客運送人として綾子を目的地まで無事安全に運送すべき債務を負担しており、右債務を履行するために次のような注意義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、綾子を死亡するに至らせたものであるから、原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。すなわち、

(1) 本件事故当時の下り線ホームの監視員は、被告の従業員である訴外吉田威海(以下「吉田」という。)であったところ、本件転落場所付近は、前記のように電車とホームとの間隙が二〇数センチメートルにも及び乗降客がホーム下に転落しやすい状態にあったのであるから、吉田は、本件転落場所付近の監視を十分に行い、非常の際には直ちに非常停止警報操作を行って電車の発進を止めるべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、本件転落場所付近の監視を十分に行わず綾子の発見が遅れたため、非常停止警報装置の操作が遅れ、本件事故を惹起させたものである。

(2) また、本件転落場所付近は、前記のように乗降客がホーム下に転落しやすい危険な状態にあったのであるから、被告は、本件転落場所付近に整理員を配置して乗降客の動静を直接監視し、乗降客の転落を未然に防止すべき注意義務があり、又は線路上に落下物検知装置(四キログラム以上のものが線路上に落下した場合には自動的に非常停止警報が発せられる装置)を設置するなどして、乗降客の転落があった場合には直ちに電車を停止させるべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、本件事故を惹起させたものである。

(3) 更に、稲田堤駅における電車の発車操作は、前記のように扉閉めランプの点灯と同時に行われているのであるが、本件転落場所付近は、ホームと電車との間隙が二〇数センチメートルに及び、扉が閉まる直前に駆け込み乗車をしようとした乗客がホーム下に転落する危険性があったのであるから、被告は、扉閉めが終了した後にも再度乗降客の安全を確認して電車を発車させるべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、本件事故を惹起させたものである。

(二) 使用者責任(民法七一五条)

前記のとおり、被告は、その従業員である吉田が担当業務を執行中その過失によって本件事故を惹起させたものであるから、原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

(三) 土地工作物の瑕疵に基づく責任(民法七一七条)

稲田堤駅の施設は、線路及びホームを含めすべて被告がこれを占有管理しているものであるが、前記のように、同駅の下り線ホームは著しく湾曲し、本件転落場所付近においては電車とホームとの間隙が二〇数センチメートルにも及び乗降客がホーム下に転落しやすい危険な状態にあった。しかるに、被告はこのような間隙を危険な状態のまま放置し、本件転落場所付近に整理員を配置して乗降客の安全の監視に当たらせたり、落下物検知装置を設置するなどの措置を講じていなかったのであるから、同駅の施設の設置又は保存に瑕疵があったものといわざるをえない。

したがって、被告はその占有にかかる施設の設置又は保存の瑕疵によって本件事故を惹起させたものであるから、原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

4  損害

(一) 綾子の損害

(1) 死亡による逸失利益

一八〇二万七四〇〇円

綾子は、本件事故当時八歳の女子であったから、同女の本件事故時における逸失利益の現価は、満一八歳から満六七歳までの四九年間稼働可能とし、賃金センサス昭和六〇年第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計・全年齢平均の年収額を基礎に、生活費控除を三割としてライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一八〇二万七四〇〇円となる。

2,308,900×0.7×11.154=18,027,400

(2) 慰藉料 二〇〇〇万円

原告日影は綾子の母であり、原告大浦は綾子の父であるから、原告らは綾子の右損害賠償請求権を各二分の一の割合で承継した。

(二) 原告日影の固有損害

(1) 治療費 一七万二八〇〇円

(2) 葬儀費用 九〇万九六〇〇円

(3) 弁護士費用 三〇〇万円

これらの費用は、原告日影が支払い、又は支払約束をした。

5  よって、原告日影は被告に対し、右損害金二三〇九万六一〇〇円及びこれから弁護士費用を控除した内金二〇〇一万六一〇〇円に対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年八月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告大浦は被告に対し、右損害金一九〇一万三七〇〇円及びこれに対する同じく昭和六二年八月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、下り線ホームの状況が概ね別紙図面のとおりであり、綾子が本件転落場所から転落したものであること、稲田堤駅のホームが上下線とも湾曲していること、本件転落場所付近のホームと電車との間に間隙があること、稲田堤駅における電車の発車体制が概ね原告主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。

本件転落場所付近の間隙は、原告主張のように二〇数センチメートルではなくほぼ二〇センチメートルであり、綾子のような小学二年生の女子でも容易に越えられる幅であって、通常の乗降客にとっては何ら危険な状態にない。なお、下り線ホームの湾曲の度合いは半経四八〇メートルである。

3(一)  同3(一)の事実のうち、被告が旅客運送を業とする株式会社であること、綾子が、被告と旅客運送契約を締結した後、改札口を通って下り線ホームに向かい、同ホームにおいて本件電車に乗車するに当たって本件事故に遭遇したものであること、本件事故当時の下り線ホームの監視員が被告の従業員である吉田であったことは認めるが、その余は否認し、被告に損害賠償義務がある旨の主張は争う。

(二)  同3(二)の事実のうち、本件事故当時の下り線ホームの監視員が被告の従業員である吉田であったことは認めるが、その余は否認し、被告に損害賠償義務がある旨の主張は争う。

(三)  同3(三)の事実のうち、稲田堤駅の施設を被告が占有管理していること、同駅の下り線ホームが湾曲していること、本件転落場所付近において電車とホームとの間に間隙があったことは認めるが、その余は否認し、被告に損害賠償義務がある旨の主張は争う。

4  同4の主張はいずれも否認ないし争う。

三  被告の主張

被告は、次のとおり、本件事故の発生について責に帰すべき事由がなく無過失であるから、原告らに対する損害賠償義務はない。

1  本件事故発生の具体的状況

昭和六二年一月一七日午後三時五分ころ、下り線ホームに本件電車が到着し所定の位置に停止した。本件電車の扉が開くと約二五人の旅客が降車し、これと入れ代わりに約一五人の旅客が乗車したが、降車客は電車進行方向の本件階段から降りて順次ホームから去って行き、降車客の最後尾の人達が本件電車から離れたころには乗車客の乗車も終わって、本件電車とホームの降車客との間には十分な安全を保てるだけの空間ができた。そこで監視員の吉田は、右乗降の終了を確認し、乗降終了合図器のスイッチを押して電子音ブザーを吹鳴させるとともに、車掌が視認できる位置に設置されている表示灯に「閉」の表示を点灯させて車掌に乗降の終了を伝え、これを受けて車掌は、反応灯(電車の進路前方の信号が青色を表示していることを示す表示灯)が点灯していることを確認し、手笛を吹鳴して扉閉めの操作を行った。吉田は、扉が閉まり始めると乗降終了合図器のスイッチから手を離し、いまだ最後の降車客がいた本件階段降り口付近及びその付近の電車の扉周辺を監視していたが、扉が閉まり終わるころを見計らい、車側灯(扉が開くと点灯し扉が閉まると消灯する赤色灯)が消灯するのを確認しながら視線を順次後方の電車へ移していったところ、視野の左側で何か動くものを感じたので直ちにその方向に目を転じたところ、その動くものは人であり、目を転じたときには既にその下半身をホームと電車との間隙に落としていたため、直ちに非常停止警報装置を操作した。一方、本件電車の運転士は車側灯が消灯したのとほぼ同時に起動操作を行っており、本件電車はわずかながら発進し始めていたが、起動した瞬間に非常停止ブザーが吹鳴し進路前方の信号が赤色に変わったため即座に非常停止措置がとられ、電車はわずか3.6メートル進んだだけで停止した。しかしながら、綾子の落ち込んだところが電車の車輪のすぐそばであったため、綾子は車輪に挾まれ死亡するに至ったものである。

2  被告の無過失

(一) 右のとおり、本件事故は、綾子が無謀な駆け込み乗車を敢行しようとしたために、一瞬早く閉まった扉に突き当たって下り線ホームの下に転落したものであり、被告はこのような事態の発生を事前に予測することは不可能であった。

ひとくちに駆け込み乗車といっても、その態様には様々なものがあり、間に合って乗車できる場合、間に合わず扉の前で乗車を断念する場合、体や持ち物が扉に挾まって扉が閉まらない場合などあるが、前二者の場合は事故に至る可能性がないのでそもそも問題とならず、最後の場合が多少問題となりうるにすぎない。しかしながら、体等が挾まって扉が閉まりきらない場合には車側灯が消灯しない仕組みになっており、このため運転士が起動操作を行うことはなく、監視員が乗降終了合図器のスイッチを断続的に操作することによって再度扉が開かれるので、旅客の安全は確保されるようになっている。駆け込み乗車といっても通常よく見られるものはこのようなものであって、本件のように一瞬早く閉まった扉に突き当たってはじきとばされるような乗車形態は、被告にとっては全く予想外のものである。

(二) 鉄道運送に関する基本法ともいうべき法令は、鉄道営業法及び鉄道運輸規程(同法二条参照)であるが、同規程二〇条では列車の出発合図があった後の乗車を禁止し、本件のような駆け込み乗車を明文をもって禁止している。このように駆け込み乗車は法定の禁止事項であるばかりでなく、そもそも駆け込み乗車をしないということは鉄道を利用する者が自分ひとりの判断でできることである。被告は、従来から「駆け込み乗車は危険ですからおやめください」との張り紙をし、駅構内及び電車内において同様のアナウンスを繰り返して利用客の注意を喚起してきており、利用客が通常の判断に従って行動する限り、本件のような事故が生じることはないのである。

したがって、本件事故は、綾子が無謀な駆け込み乗車を敢行しようとしたために生じたものであって、綾子の一方的な過失によるものというべきである。

(三) 前記のように、本件電車は発進後わずか約3.6メートル進んだだけで停止しているのであるが、このような距離関係からするならば、監視員、車掌及び運転士がいかに迅速な措置をとったかが十分に窺われるのであって、監視員等の行為に何らの過失はない。

原告らは本件転落場所付近に整理員を配置する必要があったと主張するが、稲田堤駅はいまだ乗降人員も少なく特別混雑の予想される駅ではないから、乗降口に駅員を配置しなければならないような心要性はなかった。まして、本件事故が発生したのは、初詣ではもとより成人式の賑わいもすんだ一月一七日土曜日の午後三時過ぎころのことで、ホーム上はおろか駅構内にも人影がまばらな時間帯であったから、監視員のほかに整理員を配置しなければ乗降客の安全が確保されないような事情はなかったものである。

また、原告らは線路上に落下物検知装置を設置すべきであったとも主張するが、そもそも落下物検知装置とは、四キログラム以上の物体が落下するとブザーが鳴る仕組みになっており、これを聴取した監視員が非常停止警報装置を操作することにより運転士及び車掌に緊急事態を知らせて電車を停止させるというものであって、人間によるホーム監視を機械が補佐するというものである。したがって、本件のように、監視員が直接人の落下を現認しているような場合には、これが設置されていなかったからといって非常停止措置が遅れたというようなことはなく、その設置義務を論ずる必要はない。 更に、原告らは扉閉めが終了した後に再度乗降客の安全を確認して電車を発車させるべきであったと主張する。しかしながら、電車の発車体制自体は、利用者の一般的な乗降の実態を前提にして決定されれば足りるものというべきであり、鉄道側に全く予想できない例外的な乗車形態までを念頭におく必要はないものというべきである。この点、稲田堤駅における利用客の乗降実態をみても、本件のように、扉が閉まりきろうとする瞬間になおも乗車しようとして扉に突き当たり事故に至った例はなく、稀にみられる駆け込み乗車といっても前記のような形態によるものがすべてである。したがって、右のような乗降の実態を前提にすれば、降車客が降り、乗車客の乗車が終了してしまえばあとは発車するだけであるから、車側灯の消灯と同時に点灯する扉閉めランプの合図に従って起動操作をするのを原則とし、ただ非常の場合には監視員等の非常停止警報装置の操作により電車を停止させることとしている被告の電車発車体制は、その安全面において何ら問題のないものである。そして、このような電車の発車体制は、数ある鉄道会社の中でひとり被告のみの採用するものではなく、多数の利用者を抱え、朝晩のラッシュ時には大変な混雑を余儀なくされているJR新宿駅、渋谷駅のほか、西武鉄道及び東武鉄道の各駅においても採用されているものであって、その安全性が広く承認されている方式である。したがって、被告の採用している電車の発車体制には何らの不備がないといわなければならない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は不知。

2  同2はいずれも争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実(事故の発生)は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、綾子が本件事故に至った経緯等は次のとおりであることを認めることができ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  綾子は、昭和六二年一月一七日午後三時五分ころ、被告の京王相模原線の電車を利用して京王よみうりランド駅へ向うため、稲田堤駅で京王よみうりランド駅までの乗車券を購入し、改札口を通り本件階段を上って下り線ホームに向かおうとしたが、折から同ホームに本件電車が到着する模様であり、改札口まで綾子と一緒に来ていた同女の母である原告日影が「電車が来たから早く行きなさい。」と言ったため、綾子は同ホームへ向かう本件階段を駆け上った。

2  本件電車は同時刻ころ下り線ホームに到着し所定の位置に停止したが、扉が開くと約二五人の旅客が降車し、これと入れ代わりに約一五人の旅客が乗車した。この後電車を降りた旅客らは本件階段の方に向かい、これらの旅客らと停車中の本件電車との間には約二メートルの間隔ができた。この時間帯の下り線ホームの監視員は被告の従業員である吉田であり、吉田は本件電車の到着後、同ホームの中央部に設けられた詰所から窓を開けて同ホーム及び本件電車の状況を監視していたが、ホーム上にいた旅客の乗車が終わり他に乗車しようとしている旅客の姿も見掛けなくなったため、乗降が終了したものと判断して詰所内の乗降終了合図器のスイッチを操作し、車掌に対して扉閉めの合図を出した。

3  綾子は、階段を上りきり下り線ホームに出ると、最寄りの乗車扉(先頭車両の前から三番目の扉)を目掛けて走り込もうとしたが、この時には既に車掌の扉閉め操作によって同扉は閉まり始めており、綾子がその直前に迫ったときには、同扉はいったん閉まる速度を落として更に完全に閉まりきる直前の状態であり、二枚の扉の間にわずかに人ひとりが体を横にして通り抜けられるほどの間隙を残すにとどまっていた。しかしながら、綾子が右間隙を通り抜けて車内に乗り込もうとしたときには、右扉は一瞬早く閉まりきり、このため綾子は閉まった扉に突き当たって本件電車と下り線ホームとの間約二〇センチメートルの間隙から同ホーム下に転落した。

4  一方、吉田は、本件電車の扉が閉まり始めると、まず先頭車両の安全から確認すべく同車両の乗降扉付近を監視していたが、同車両の各扉が閉まり終わるころを見計らい、順次後方の車両の安全を確認すべく徐々に視線を後方車両へと動かそうとしたところ、視野の左側に動くものを認めたので即座にその方向へ視線を戻した。すると、綾子が前記のようにその下半身をホームと本件電車との間隙に落とし込んでおり正に転落する瞬間であったため、吉田は直ちに詰所内の非常停止警報装置を操作し、運転士及び車掌に対して右緊急事態の発生を知らせるとともに非常停止の合図を出した。

5  本件電車の車掌は、同電車が下り線ホームに到着した後、自ら目視可能な範囲の乗降終了を確認し監視員による乗降終了合図を待って扉閉め操作を行ったが、扉閉めが終了して発進した後、約二メートル進んだ地点で前記の非常停止警報装置が作動し電子音ブザーの吹鳴があったため、直ちに車掌用非常停止スイッチを操作した。また、本件電車の運転士は、同電車が下り線ホームに到着した後、乗降の終了を待ち車側灯の消灯と同時に点灯する運転士知らせ灯の点灯を確認して起動操作を行ったが、発進後約二メートル進んだ地点で前記の非常停止警報装置が作動し電子音ブザーの吹鳴とともに出発相当閉塞信号機の停止信号現示があったため、直ちに非常制動措置を講じたところ、本件電車はこれより約1.6メートル進んだ地点で停止するに至った。

6  しかしながら、綾子の落ち込んだところが先頭車両の車輪付近であったため、綾子は同車両の第二軸、第三輪に腹部を挾まれて重症を負い、約三五分後に救助されて聖マリアンナ医科大学病院に搬送され治療を受けたものの奏功せず、昭和六二年一月一八日午前五時三分外傷性躯幹断裂により死亡した。

二次に、同2の事実(稲田堤駅の施設の状況及び電車の発車体制)について検討するに、稲田堤駅下り線ホームの状況が概ね別紙図面のとおりであり、綾子が本件転落場所から下り線ホームの下に転落したものであること、同駅のホームが上下線とも湾曲していること、本件転落場所付近の下り線ホームと電車との間に間隙があること、稲田堤駅における電車の発車体制が概ね原告主張のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  稲田堤駅の施設の状況等は次のとおりである。

(一)  稲田堤駅は半径四八〇メートルの割合で湾曲した線路部分に位置し、線路(複線)を挾んで上り線用と下り線用のホームが各別に設けられている。このうち、下り線ホームの状況は概ね別紙図面のとおりであり、下り電車の進行方向に向かって右側に湾曲した形状をしているが(長さ219.3メートル、幅6.17メートル)、その始端側及び終端側の二か所に階段が設けられ、乗降客はここを通って改札口へ向かう構造になっている。

(二)  このように、稲田堤駅においては下り線ホームが電車進行方向に向かって右側に湾曲した形状をしているため、本件電車と同じ八両編成の電車が同ホームに停車した場合には、本件転落場所付近において電車と同ホームとの間に約二〇センチメートルの間隙ができ、また、電車最後部に乗務する車掌から同ホーム前方の状況を直接視認することは電車自体に妨げられて困難となる。そこで被告は、次のような人的及び物的設備を設けて旅客の安全を図っている。

(1) 下り線ホームのほぼ中央に詰所を設けて監視員を配置し、右監視員にホーム全体の監視を行わせている。詰所内には、次の乗降終了合図器及び非常停止警報装置を操作するスイッチ類のほか、詰所から直接視認できない電車後部を映し出すテレビ受像機が設置され、これらによって乗降客の安全を確認している。

(2) 乗降終了合図器

これは、電子音(ブザー)の吹鳴と「閉」と書かれた白色表示灯からなるものであり、監視員が旅客の乗降の終了を確認した後スイッチを操作すると、電子音が吹鳴すると同時に右表示灯が点灯する仕組みになっているものであるが、これによって監視員の監視範囲の乗降が終了したことを車掌に対して知らせ、車掌はこれを確認した後、更に自分の目視可能な範囲の安全を確認して扉を閉める手順になっている。

なお、いったん閉じた扉をもう一度開く必要が生じた場合には、後記のとおり、監視員が同じスイッチを断続的に操作することによって、電子音を断続的に吹鳴させるとともに右表示灯を点滅させ、車掌に対して右事態を知らせる手順になっている。

(3) テレビカメラ及びテレビ受像機

下り線ホームには、電車の編成車両数によって異なる車掌の停止位置に合わせて三基のテレビ受像機が設置されており、車掌は直接視認できないホーム部分をも右テレビ受像機の映像により間接的に確認できるようになっている。

(4) 非常停止警報装置

これは、急遽電車を停止させる必要が生じた場合には、監視員がスイッチを操作することによってブザーが鳴動し、かつ、電車前方に設置された信号機が赤色を表示して運転士及び車掌に非常停止を指示するものであり、運転士及び車掌はこの警報が作動したときは直ちに電車を停止させることになっている。

(三)  被告は、このような人的及び物的設備を設けて旅客の安全確保を図る一方で、駆け込み乗車を防止する方策として、従来から「駆け込み乗車は危険ですからおやめください」と記載した張り紙をするとともに、駅構内及び電車内で同様のアナウンスを繰り返して旅客の注意を促していたが、これにもかかわらず駆け込み乗車しようとする旅客が稲田堤駅においてもまま見受けられた。また、本件転落場所付近の間隙は、前示のように約二〇センチメートルのものであったが、通常の乗降過程においてもこの間隙に足をとられる旅客がままあり、少なからず危険な状態にあった。

2  稲田堤駅における電車の停車から発車までの手順は次の通りである。

(一)  電車が所定の位置に停止すると、運転士は転動防止操作(一種のブレーキ操作)を行い、車掌は扉を開く操作を行う。

(二)  扉が開くと電車の外側面に設置された車側灯が点灯する仕組みになっているので、車掌は、車側灯の点灯を確認し、電車からホームに降りて直接目視しうる範囲を監視するとともに、適宜テレビ受像機によりホーム前方の状況を監視して乗降が終了するまで待機する。一方、監視員も車側灯の点灯を確認した後、詰所から視線を適宜電車の前方から後方へ、後方から前方へと繰り返し走らせてホームを監視し、乗降の終了を確認すると、更にホーム監視を続けながら乗降終了合図器のスイッチをいれて、電子音ブザーを吹鳴させるとともに「閉」と書かれた白色表示灯を点灯させる。

(三)  車掌は、右表示灯の点灯及び電子音ブザーの吹鳴によって直接視認できないホーム前方の乗降終了を認知し、更に自ら目視可能な範囲の乗降終了を確認した後手笛を吹鳴し扉を閉める操作を行う。この間監視員は乗降終了合図器のスイッチを継続していれているが、扉が閉まりきる少し前にこれを離す。これは、再度扉を開く必要が生じた場合には同スイッチを断続的に操作する必要があり、また、電車を停止させる必要が生じた場合には非常停止警報装置を操作する心要があり、いずれの場合も同じ手で更に別の操作をしなければならないからである。

(四)  電車の扉が閉まりきると車側灯が自動的に消灯する仕組みになっているので、車掌及び監視員はホーム監視の一環として車側灯の消灯を確認する。

(五)  車側灯が消灯すると、運転室内の表示灯(「運転士知らせ灯」ともいう。)が自動的に点灯して運転士に扉が閉まったことを知らせる仕組みになっているので、進路前方の信号を確認しつつ待機していた運転士は、右表示灯の点灯を見てブレーキを緩解し電車を起動・発進させる。

(六)  車掌及び監視員は、電車がホームを出ていくまでホーム監視を続ける。

三そこで同3の事実(責任原因)について判断することとする。

被告が旅客運送を業とする株式会社であること、綾子が、被告と旅客運送契約を締結した後改札口を通り本件階段を上って下り線ホームに向かい、同ホームにおいて本件電車に乗車するに当たって本件事故に遭遇したものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

ところで、被告のように、老年者から小児まで等注意能力の多様な旅客を大量に輸送する鉄道交通機関は、人の生命、身体等を侵害する多大な危険を伴うものであるから、人身の安全確保については、電車の迅速な運行を図る等の他の業務目的に優先しても、最大限の努力を払うべき責務を負うものというべきであり、旅客が当該運送機関に乗車するときから下車するまでの間については、右旅客の安全を確保するため、当該駅におけるホームの構造・形状、乗降客の数、混雑状況及び駆け込み乗車によるものも含めた平素の乗降の実態等はもとより、他の交通機関におけるそれらの諸事情を総合考慮して、事故の発生を未然に防止するよう万全の措置を講ずべき高度の注意義務があるものといわなければならない。この見地から本件をみるに、右一、二項で認定した事実によれば、ホーム監視員であった吉田には、本件電車の各扉が確実に閉まり終わるまで本件転落場所付近を注視し、この付近に駆け込み乗車をしようとする旅客がなく、旅客の安全に支障がないことを確認すべき注意義務があったものというべきである。すなわち、前示のように、稲田堤駅下り線ホームは電車進行方向に向かって右側に湾曲した形状をしているため、停車した電車の最後部に乗務する車掌からはホーム中ほどより前の車両、とりわけ先頭車両の付近を直接目視できない状況にあったところ、被告は、同ホーム上に設置したテレビ受像機の映像により車掌の位置からでも間接的に同付近の状況を監視できるようにする一方で、なお直接的な監視方法として、ホーム中央部に設けた詰所から直接監視員の目によって同付近の状況を監視させることにしていた。したがって、このような監視体制からしても、ホーム監視員には、その役割分担として、車掌の位置からでは直接目視できないホーム中ほどより前の車両、特に先頭車両の付近の十分なる監視が求められていたものというべきであるが、本件転落場所付近は、本件階段の昇り口を出て約三メートルの距離で電車の扉に到達しうる所であり、電車の扉が閉まる間際になってから乗車をしようとする旅客が階段を駆け上がり駆け込み乗車をすることも十分に予想される場所であったから、この付近の監視には、他と比較してより一層の注意を払うことが要求されていたものというべきである。しかも、本件事故の当日は、電車内の旅客も少なく、混雑のために下り線ホーム上の旅客が扉に挾まれるといった事態も特に予想される状況になかったのであるから、同ホーム上の旅客がすべて乗り込んで一応の乗降が終了した後は、扉が確実に閉まりきるまで本件転落場所付近の監視に力を注いだとしても、他に何らの障害はなかったのである。したがって、これらの事情に照らせば、ホーム監視員であった吉田は、本件電車の各扉が閉まり始めた後は、駆け込み乗車をしようとする旅客の出現が予想されながら車掌の位置からは十分に監視できない本件転落場所付近の監視に集中し、右扉が確実に閉まり終わるまで、同付近に駆け込み乗車をしようとする旅客が確実になくなり、電車を発車させても旅客の安全に支障のないことを確認すべき注意義務があったものというべきである。

しかるに吉田は、これを怠り、先頭車両の各扉が確実に閉まり終わるのを確認しないまま、後方車両の状況を監視しようとして視線を後方へ動かしたため、階段を駆け上がってきて本件電車に飛び乗ろうとした綾子の存在に気付かず、同女が扉に突き当たってホームの下に転落する状態になって初めて同女を認めたものである。もとより、吉田は、右の状態にある綾子を認めた後は直ちに非常停止警報装置を操作して本件電車を停止させるべく努めたが、吉田が、右扉の閉まり終わるまで本件転落場所付近を監視していれば、綾子が本件階段を駆け上がってくるのに気付き、その外観、行動の態様から同女が小児であって本件電車に飛び乗ろうとする行動にで、場合によっては危険な状態に陥ることを知りえ、同女が扉に突き当たる直前に非常停止警報装置を操作することによって本件電車の発進を阻止することができ、したがって、本件事故の発生を防止しえたものというべきであるから、本件事故は右吉田の過失によって生じたものといわなければならない。

被告は、本件のように、閉まり終わった扉に突き当たりそのままホームの下に転落してしまうような事態は全く予見できなかったと主張する。なるほど、〈証拠〉によれば、ひとくちに駆け込み乗車といっても様々な態様があり、通常よく見られるのは、閉まり始めている扉にまだ人が通り抜けられるだけの十分な余裕があってそのまま乗車できてしまうもの、又は乗車寸前に扉が閉まりきり旅客の側で乗車できないと諦めてしまうものであり、これらが駆け込み乗車のほとんどであること、稲田堤駅においては本件事故前の数年間には、綾子のように閉まった電車の扉に突き当たりホームから線路上に転落するといった事故が生じたことのなかったことが認められる。しかしながら、旅客運送人は、当該駅の当該場所における駆け込み乗車及びこれに伴う危険が具体化したことがなかったからといって、かかる事態の生じうることを予見することができず、また、予見すべき義務もないとはいえないものというべきであり、旅客運送人として負うべき高度の義務を尽くすときに予見可能な事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるものというべきところ、旅客が閉まり始めた電車の扉に突き当たることは一般的に見受けられる事態であり、稲田堤駅下り線ホームにおいては、前示のように、本件階段の昇り口から約三メートルの距離で電車の扉に到達することができ、駆け込み乗車の生じやすい構造となっているのであるから、被告及びその従業員においては、本件階段の昇り口付近からの駆け込み乗車及びこれに伴う危険を予見することができ、また予見すべき義務があったものというべきである。したがって、被告の右主張は採用できない。

そうすると、本件事故は、被告の従業員であった吉田の過失によって生じたものというべきであるから、被告は、商法五九〇条一項及び民法七一五条一項本文に基づき、原告らの後記損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

四進んで原告らの損害について検討する。

1  死亡による逸失利益

一八〇二万七四〇〇円

綾子は、本件事故当時八歳の女子であったから、同女の本件事故時における逸失利益の現価は、賃金センサス昭和六〇年第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計・全年齢平均の年収額(この額が二三〇万八九〇〇円であることは当裁判所に顕著である。)を基礎に、生活費控除を三割としてライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、頭書の金額となる。

2  慰藉料 一五〇〇万円

本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、綾子の死亡による精神的苦痛を慰藉するためには一五〇〇万円をもってするのが相当である。

3  相続関係

〈証拠〉によれば、原告日影が綾子の母であり、また原告大浦が綾子の父であることを認めることができ、右事実によれば、原告らは右1、2の損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続により承継したものというべきである。

したがって、原告らの損害額は各一六五一万三七〇〇円となる。

4  原告日影の固有損害(この項の損害賠償請求は民法七一五条一項本文に基づくものを認容する。)

(一)  治療費等 一七万二八四〇円

前示のように、綾子は本件事故後聖マリアンナ医科大学病院に搬送されて治療を受けたものの奏効せず死亡するに至ったものであるが、成立に争いのない甲第一三号証及び弁論の全趣旨によれば、同病院における治療費等及び文書費として原告日影が合計一七万二八四〇円の支払を要したことが認められるから、右同額を損害額と認めることができる。

(二)  葬儀費用 九〇万円

〈証拠〉によれば、綾子の葬儀費用として原告日影が合計九七万九六〇〇円の支払を要したことが認められるが、綾子の年齢等を考慮すれば、このうち原告日影が本件事故による損害として被告に対し賠償を求めうる額は、九〇万円と認めるのが相当である。

(三)  したがって、原告日影の損害額は一七五八万六五四〇円、原告大浦の損害額は一六五一万三七〇〇円となる。

5  過失相殺について

一項で認定した事実に基づいて検討するに、綾子が本件階段を駆け上がって下り線ホームに出たときには、既に車掌の扉閉め操作により本件電車の扉は閉まり始めており、同女がその直前に迫ったときには、同扉はいったん閉まる速度を落として更に完全に閉まりきる直前の状態であって、二枚の扉の間にはわずかに人ひとりが体を横にして通り抜けられるほどの間隙しか残されていなかったのである。しかも、本件転落場所付近においては下り線ホームと電車との間に約二〇センチメートルの間隙があり、注意を怠れば足を落とす可能性もあったのであるが、そもそも電車の出発合図があった後のいわゆる駆け込み乗車は鉄道運輸規程二〇条において明文をもって禁止されているのであるから、右のような場合、鉄道を利用する旅客としては、自己の身体を守るため、駆け込み等の危険な態様で当該電車に乗車するのは差し控え、次に到着する電車を待って安全な方法でこれに乗車すべき義務があるものというべきである。しかるに綾子は、これを怠り、わずかに残された扉の間隙を通り抜けて車内に乗り込めるものと軽信し、なおも駆け込み乗車を敢行しようとした過失によって、一瞬早く閉まりきった扉に突き当たり同ホームと電車との間隙から転落して本件事故に至ったものである。加えて、本件においては、改札口まで綾子と一緒に来ていた原告日影が、本件電車の到着する気配を察知し、同女に対し「電車が来たから早く行きなさい。」と申し向けているのであるが、このような場合、綾子が八歳という小児であり、自ら危険を回避する能力に乏しいことをも考慮すれば、親権者である同原告としては、むしろ危険な態様で電車に乗らないようにその注意を喚起すべき注意義務があるものというべきであるから、同原告にはこれを怠った過失があり、原告らの損害額を定める上でも、相当程度にこれを斟酌すべきものといわなければならない。

以上のとおり、本件事故は、被告の従業員吉田の過失と綾子らの過失が競合して生じたものというべきであるが、双方の過失を対比し、原告日影を含む綾子らの過失が極めて重大であることを考慮すると、原告らの前期損害額からそれぞれ七割五分を減額するのが相当である。

そうすると、被告が原告らに対して賠償すべき額は、原告日影に対し四三九万六六三五円、原告大浦に対し四一二万八四二五円となる。

6  弁護士費用 四〇万円(この項の損害賠償請求は民法七一五条一項本文に基づくものを認容する。)

弁論の全趣旨によれば、原告日影は本件訴訟を原告訴訟代理人に委任し、相当額の費用及び報酬の支払を約しているものと認められるが、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に照らし、同原告が本件事故による損害として被告に対し賠償を求めうる額は、四〇万円と認めるのが相当である。

7  まとめ

以上によれば、被告は、本件事故に基づく損害賠償として、原告日影に対し四七九万六六三五円、原告大浦に対し四一二万八四二五円をそれぞれ支払う義務があるものといわなければならない。

五よって、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告日影が右損害金四七九万六六三五円及び原告大浦が右損害金四一二万八四二五円並びに右各金員に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和六二年八月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官柴田保幸 裁判官原田卓 裁判官石原稚也)

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